2020年度知のフォーラムテーマプログラム
「人の幸せを大切にするIoT社会のデザイン」

第1回 市民カフェ

2020年12月20日
東北大学 片平キャンパス 知の館(Tokyo Electron House of Creativity)
及びオンライン(Zoom)

市民参加型ディスカッション

“オンライン会議、テレワーク、リモート授業。コロナ禍を機に、私たちはIoTを用いた「新しい日常」を余儀なくされています。私たちが日ごろ感じている期待や不安、違和感などを手がかりに、IoT社会と人間のwell-being(幸福、よい状態)との関係について話し合っていきたいと思います。”

このような告知を事前に行って一般参加者を募集し、アカデミアと市民の対話イベント「市民カフェ」を開催しました。

新型コロナ感染拡大のため、会場に集合するオンサイト参加とZoomを用いたオンライン参加のハイブリッド開催となり、東北大学関係者が10人、一般から15人が参加しました。

ファシリテーターは、このような市民との対話をこれまでにも数多く行なってきた「てつがくカフェ@せんだいfacebookはこちら)」のメンバーで、東北大学文学研究科博士課程の綿引周(わたひき・あまね)さん。

本プログラムから発足した「未来社会デザイン塾」塾生からの話題提供をもとに、IoT社会の未来と人間の幸せについて、学生と市民がフランクに議論を行いました。

 

イントロダクション

ディスカッションの方法—— 哲学対話とは

本イベントは「哲学対話」のスタイルで行われました。哲学対話とは、文字通り「哲学」+「対話」の営みです。議論の勝ち負けを競うディベートではありません。概念の洗練化(そもそもそれが何であるかを問う)、素朴な考えの根拠を問う(理由を問う)といった哲学的な思考方法にのっとった言葉のキャッチボールで、参加者同士の考え方の相互理解を目指すものです。

「どんなことでも自由に話して構わない」、「話している途中にわからなくなっても構わない」、「沈黙は気にしない」、「人の話をさえぎらない」という心得を参加者全員で共有した上で議論に入りました。(執筆:未来社会デザイン塾 / 東北大学大学院文学研究科 博士課程後期 浅川芳直)

哲学対話について解説するファシリテーターの綿引さん(左)と話題提供を行った浅川。

未来社会デザイン塾からの話題提供

「新たなAIと人類の概念に関する提言」(発表:浅川芳直)
テーマは人間とAIによる結婚についての考察でした。具体的には、よくできたサイボーグが完成すれば、「結婚」「人権」といった制度的な概念の再構築(概念工学)や、「人間」の範囲の改訂の可能性が指摘され、結婚相手も人間だけに限られなくなるかもしれない未来が言及されました。このテーマを通し、人間中心の科学技術とはどのようなものかを検討しよう、という問題提起も行われました。

ディスカッション

仮にAIと結婚できるとして、実際、二人はどのような生活を送ることになるのだろう? そんな問いから議論が始まりました。

2018年、架空のキャラクターと結婚式を挙げた男性のニュースが話題になりました。そのような例もあるのだから、従来の結婚の姿にとらわれることのない結婚があってもいいのではないかという意見があった一方で、実体を持たないパートナーとの結婚は、家事や自分の家族の世話など(たとえば老親の介護など)で問題を抱えることになるのではないかといった声も聞かれました。

また、結婚とはそもそも、違う価値観をもった二者がいわば「文化交流」のように、相互に働きかけ、理解しようと努める関係ではないだろうかという問いかけがありました。仮にAIを機械と考えるならば、そのようなコミュニケーションは難しく、一方的なやりとりになってしまう。それは結婚関係とは言えないのではないか、という議論へ広がりました。

結婚の新しい形を受け入れられるか否かという話から、議論は「科学技術とジェネレーションギャップ」の関係へと展開します。若年層から「高齢者が新技術に適応できず、技術革新によって不利益を被っているのではないか」という指摘が出たことに対し、むしろシニア側からは衰える身体機能を補ってくれる場面が多いのでありがたい、という意見も聞かれました。

そこから本イベントのテーマである、人間中心のIoT社会とはどのようなものか、という問いが話し合われました。技術の進歩は日常の暮らしを便利なものにしてくれているが、すべての人々が利益を受けているわけではなく、生きづらさを感じている人もいるかもしれない、という意見が出されました。

たとえば、「キャッシュレス化が進んでいるが、それでも自分は主に現金を利用したい」と思う人もいるでしょう。人が自由に職業を決められるように、新しい技術を使うか否かという選択の余地は残されるべきだとの指摘がなされました。

その議論をさらに広げるために、「では逆に、人を不幸せにするIoT技術とは何かを考えてみては?」という提案がありました。技術は人間が必要とすることのために使われる以上、あるIoT技術が善であるか悪であるかをあらかじめ決めることはできない、というコメントや、あくまで技術を利用するのは人間であるから、何のために、またどのように使うかは私たち次第である、という主張もなされ、多くの意見が交わされました。

最終的に、以下のようなまとめがなされました。

・技術の進歩はすべての人を幸福にしているとは限らない
・人間による選択の余地を確保するべきである
・IoT技術そのものは人を不幸にするわけではない
・結局のところ、人間がどのような目的で活用するかにかかっている

ここで話に一つの区切りが付いたのとほぼ同時に、時間いっぱいで終了となりました。オンサイト参加組とオンライン参加組との距離感が埋まるまでに時間を要したものの、各々が対等かつ自由に対話を行い、共通のテーマについての理解を深めることが出来たように思います。今後の開催に向け、大いに期待が持てる場となりました。
(ディスカッションレポート執筆:未来社会デザイン塾 / 東北大学大学院文学研究科 博士課程前期 高見豪)

第1回市民カフェを振り返って

参加者から

・ハイブリッド形式での開催はより広い参加を可能にした一方で、オンライン組と現地組との距離を感じずにはいられなかった。今後これをどのように埋めていけば良いか、参加者も含めて考えていきたい。

・ファシリテーターの問答と誘導によって、最後に「そもそもなぜ人間がモノへと拡張することが怖いのか?」といった問いへ辿り着けたのは哲学対話の醍醐味であり、より深掘りができそうな起点であったと思う。

ファシリテーターから

IoT社会とは、人と人、モノとモノ、ヒトとモノをつなげる情報技術(モノのインターネット)が浸透した社会です。IoT社会は、IoT技術を通じて収集された大量のデータを処理するAI(人工知能)技術の発展を前提としています。その意味で、IoT社会とはAI社会であるといってもいいでしょう。

モノのインターネットが普及した現在、童話に登場する小人のように、AIは私たちの目に見えないところで、私たちの知らない間に私たちの生活を支えてくれているわけです。これからIoTとAI技術が発展していけばいくほど、私たちの生活はより便利になり、私たちの生はより良いものになっていく(つまりwell-beingが実現されていく)ように思えます。

しかし本当にそうでしょうか。IoTや AI技術の発展はそのまま人類の幸福につながると考えていいのでしょうか。今回の市民カフェは、こうした問いについて一度立ち止まって考えてみることで、IoTやAIと私たちの幸福との関係について考え直す良い機会になればと思いながら、ファシリテーターを務めさせていただきました。

当日はその狙いどおり、未来社会デザイン塾塾生からのAI技術に関する問題提起に触発されて、技術に関する根本的な問いがいくつか提示されました。

例えば、技術自体について「良し悪し」を問題にすることはできず、それは使う人次第だろうという典型的な「価値中立説」が出たかと思えば、多数の人間の欲求を満たせばよい技術と言えるのではないかという意見もありました。しかしこれに対しては、技術自体が欲求を作り出すこともあり、技術が作り出した欲求を技術で満たすことに何か違和感を覚えるという意見もありました。

あるいは、技術は人間の自立性を奪い、人間の能力を衰えさせているのではないかという意見もありました。例えば私たちの多くはもう、Googleマップなしではやっていけませんし、「ググる」(Googleで検索する)だけでわかることをいちいち記憶しておこうとは思えません。技術は私たちから空間認識能力や記憶力を奪っているという面もあるのではないかという意見です。

この意見に対しては、そうした技術の総体と人間を切り離して考えることはもはやナンセンスで、何か聞かれたときに、携帯のメモを見たり、検索したりしてすぐに答えられるなら、その人はその質問に対する答えを知っていると言ってもいいのではないかという異論も出ました。

それに対して、技術と人間を一体化して捉えるのは「怖い」という興味深い意見も出ましたが、時間の制約から、ここで対話を終えなくてはなりませんでした。

このように〈IoTやAIと私たちの幸福(well-being)の関係について考え直す〉きっかけとなるような問いが自発的に出てきたという点で、よい哲学対話ではなかったかと思います。

当日の話題は多岐に渡り、様々な意見が出ました。それぞれの意見について深掘りしていくことも可能だったでしょう。

例えば、技術によって欲求を操作することに何か違和感を覚えるとしたら、なぜそう思うのか。人間と技術を一体として捉えること、汎用AIを人間と認めること、あるいはそれを含めるくらいに「人間」というものを広く捉えることが「怖い」としたらそれはなぜなのか。

こうした論点で立ち留まって、じっくりと考えることも哲学対話のひとつの方法です。とはいえ今回は初めて哲学対話に参加した方も多く、最初のうちは、立ち止まって考えるという感覚を掴むのが難しい方もいらしただろうと思います。

積み残した問いはそれぞれの参加者が持ち帰って考え続けていっていただけたら嬉しいですし、今後、こうした機会を継続的に作ることで、より多くの人に、哲学的な思考に慣れていっていただければと期待しています。

綿引周(東北大学文学研究科博士課程後期)


オーガナイザーから

情報を扱う技術の進歩によって、我々の暮らしはとても便利なものになりました。もはやスマートフォンの無い世界を想像できないという人も少なくないでしょう。しかし今回の市民カフェでは、「IoTという技術によってもっと多くの情報を活用できるようになれば、さらに便利な社会になるはずだ」という視点に対して多くの疑問が投げかけられました。

半導体技術に関わる企業としても、「より高い性能を持った半導体を作り出すことのみを目的とした技術開発では足りないものがある」といった主題にどう答えていくのか、人間中心の社会に貢献するような技術とはどういったものであるのか、深く考える必要があると感じました。

簡単に答えが出るものではないと思いますが、今回のような哲学的手法を用いた新しい取り組みによる新しい視点からの答えが見いだされることを期待します。

森嶋 雅人(東京エレクトロン株式会社)